ヤマハのフレーム技術が高く評価された歴史
GP500マシンが最高速度290キロを超えるレベルの頃、より高性能で速い速度で走るマシンへの技術革新が世界各国で求められていました。
ヤマハでもピストンリードバルブよりも高速で質の高いディスクバルブに吸気方式を変更しようと苦労していた時期です。
ディスクバルブは扇形状のディスクをクランクへの同期で回転させ吸気孔の開閉を行うというもので、ピストンの位置に関係なく吸気のタイミングを調節できるということや高回転域でより高い性能を出すことができるといわれています。
しかしこの方式を採用することでエンジン側面にキャブレターを設置することになり車体幅が広がるため空気抵抗が高くなるというデメリットもあったのです。
研究が行われていく中でレイアウト図からトーたりーバルブをVバンクの間におけないか?という提案がありました。
これが糸口となって新しい技術革新がぐっと進むことになります。
トーたりーバルブとキャブレターを前側2気筒と後側2気筒の間に置くことで車体幅を2気筒並みにすることができるのです。
このとき、フレームに関しても左右から抱きかかえるような構造に変更されました。
ヤマハが考えた合理的剛性を持つフレームレイアウト
吸気方式の変更とともに変更となったフレームレイアウトは、ヘッドパイプの上下とピボットを結ぶラインで三角形となることや断面がボックスになることから「デルタボックス」という名称になりました。
ヘッドパイプと後輪の荷重を強く受けるピボット軸が三角形で結ばれることで、高い剛性によってエンジンを保持できるようになり、フレームレイアウトの変更が合成バランスの強化につながり、ハンドリングに関しても安定性を引き出す結果となったこともこのフレーム変化の成果です。
デルタボックスができたことで得たものは、車体幅を広げずにすむということ以外にマシンの安定性などマシンの質を高める結果となりました。
デルタボックスが実際に市販モデルに利用されたのは1985年のことです。
デルタボックスが採用されているTZR250
デルタボックスの初採用は1983年GP用のマシンで、その後GPマシンから市販モデルにも利用されます。
初めて市販モデルにデルタボックスが採用されたのは1983年で、TZR250というマシンです。
TZR250でデルタボックスが採用されてからは、そのほかのスポーツバイクにも影響し現在MotoGPのマシンや市販のRシリーズなどでもその影響を見ることができます。
苦労を重ねて現場の声を活かし作り上げたデルタボックスは、ヤマハの技術的な部分を向上させることにもつながりましたが、何よりマシン作りには人が不可欠であり、不可能かと思われることでも人が集まり知識を出し合うことで可能になることを証明しました。